諸岡誠治の日記

一日一日頑張って悔いの無いよう進もう

京都(その3)

今回の京都旅行の目的は金戒光明寺に行きまして,五劫思惟(ごこうしゆい)の阿弥陀仏を拝観することで、通常の阿弥陀仏と違い頭髪(螺髪(らほつ))がかぶさるような非常に大きな髪が特徴で石仏であることを知りました。
金戒光明寺会津藩松平肥後守京都守護職本陣旧跡


永観堂より徒歩30分と調べてありますが不案内も有りTAXEを使用金戒光明寺につきました。

くろ谷は小高い岡に有り、松平容保京都守護職を拝命され金戒光明寺が本陣に選ばれ特に西からやってくる敵軍を天王山淀川まで見渡せたようです、新撰組も壬生の屯所とここにおいたようです。金戒光明寺の門の1つ



御影堂昭和9年に消失再建されました。



古来より日本三文殊の1つで運慶作白象に乗っています仏像です。
京都市指定文化財


堂内に寺宝の山越阿弥陀図を複写して仏の胸から五色の糸が延びて撞木と鐘がおかれ臨終の時に鐘をたたいて極楽に導いてくれる場所が作られています。鐘は1つだけ参拝者が多いからでしょう。あんまりたたくとお呼びが早く来ますと説明していました。
私も1つたたきました。まだ此の世に使命がありますから、1つだけ・・・・

御影堂拝観して池をかこも回遊庭園出でました






綺麗な黄色い紅葉と石灯篭です。



墓地の御茶や休み処に五劫思惟阿弥陀仏の案内がありました。この頃は寺の女性が参拝者アフロさんアフロさんと聞かれますがなんでしょうかと言われました。

墓地に上がる階段途中の左側にありました。
流行でアフロぶぶんに金平糖が入りました、お菓子も売り出されていました。



遠く会津を離れこの京都で散った武士や関係者の墓が並んで居ます。
墓地には武士だけでなく、使役で仕えたと思われる明寺の無い者婦人も同様に祀られおり、会津藩神道禁門の変(蛤ご門てれの戦い)の戦死者は一段積み上げられた台の上三ヶ所に分けら二十二霊祀られています。




山門の3階の付近の展望に上るのに45度近くの傾斜の階段を一気に上り降りしました、ロ−プが有りますが、足はへなになってしまいました。靴を履くのも大変です。
徒歩15分のようです金戒光明寺の裏手にあります、真如堂に回ります。